Friday

110520

現在小山登美夫ギャラリーで開催されているスイスの彫刻家、
Hans Josephsonの展覧会に行ってきた。
彼の作品はスイスで何度か見たことがあったのだけれど、
また今回日本で見直していろいろと考えさせられた。

La Congiunta / Peter Maerkli









彼の作品は顔や体など具体的なものを作ろうとしているのだけれど、
なにかであるようなそれでいてなにものでもないような、
あるいはなにかになる以前のギリギリの状態にあって、
不思議なバランスの上に成り立っている。
プラスターを塗りたくった荒々しいテクスチャーは、
彼の思考の痕跡がそのまま刻み込まれているみたいでとても興味深い。
それらがかたちづくる輪郭は、
はっきりとしたものにまとまっていくことを拒否するように、
製作の過程がそのまま放り出されたかのようだ。
なにをもって完成かというのは彼の感覚以外の何者も知ることはできない。
今回展示されている映像で初めて製作の様子を見ることができたのだけれど、
傍目で見ていてもなにを作ろうとしているのかわからなくて、
考えることがそのまま作ることであるような、
言語以前の即物的なレベルで考えているように思えた。
スケッチのような感覚で粘土をこねくり回してオブジェを作る様子は、
彼の製作に対する態度をすごく端的に表しているような気がする。

それから今回すごく感じたのが、
彼の作品の見え方が展示空間によって大きく変わるということ、
そして彼の作品がいかに空間そのものに強く働きかけているかということだった。
蛍光灯にプラスターボードの壁ではどうしてもバランスがとれていないと
感じてしまったのが正直なところだった。
そう考えてみるとやはりペーター・メルクリ設計の「彫刻の家」というのは、
ある意味での理想の空間の状態だということができる。
光の状態、空間のプロポーション、そして壁のテクスチャー
(ヨゼフソンが製作のときの壁のテクスチャーについて
言及しているのが興味深かった。)
が彫刻との関係ですごく厳密にできていて、
建築と彫刻との関係がものすごく緊密に成立している。
あるいはKesselhausではもともと製作現場だということもあり、
その空間のおおらかさが彫刻ととてもいいバランスでできている。
もちろんこれらは恒久展示だから通常のギャラリーとはまったく話が違うのだけれど、
空間と立体作品、あるいは絵画であってもそれは結局のところ
3次元のものとして存在しているのだから、
それらがどのような関係の上に存在しているかということを
強く考えさせられた。


Kesselhaus Josephson








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