Sunday

110515

The Construction Of A State / Jun Igarashi @Gallery MA























現在ギャラリー間でおこなわれている、
五十嵐淳さんの展覧会「状態の構築」を観に行ってきた。

会場に入ってみると驚くほどシンプルな構成で、
図面もなくキャプションも最低限に抑えられ、さりげなく床に置かれているのみである。
壁には薄いカーテンが吊るされ、下に照明が設置されている。
土台によって持ち上げられた1/10スケールの木製の模型だけが
柔らかい光に照らされている。
この模型群は間違いなく実在する建築、あるいは実現させたかった建築の縮小されたものであり、
それらの抽象化されたかたちである。
しかしこれだけの大きさの模型がずらっと並べられてみると、
それらはもはや実際の建築から離れてそれ自体が自律したオブジェクトとして見えてくる。
とても大きいので中を覗けばある程度空間をイメージすることもできるのだけれど、
空間そのものを表現するためのもの、というよりも
次第になんとなくそれとはまた別のものとして見えてくる。
建築の展覧会というのは基本的に、
本来ある特定の場所にあるひとつしか存在しえないものを
また別のかたちでみせなければいけないという意味で
どうしても矛盾を抱えざるをえないのだけれど、
(それはもちろん写真などのメディアでも同じことだ)
どれだけ建築を再現しようとしても限界があるわけで、
どこかでその壁にぶちあたる。
そうゆう意味でこの展覧会は、
図面やダイアグラムなど、実在する建築(案)を説明する上で
通常必要とされるものが一切省かれているため、
観る側はただひたすら模型と対峙することを迫られる。
結果として、その光や木の匂いなどを含めて、
ここでしか感じることのできない空気感を体験することになる。

模型というメディアは建築に関わる人間からすると
3次元であるという点において実際の建築をイメージする上で
もっとも便利なものだと思いがちだけれど、
建築に直接関係のない人たちからしてみれば
実はそんなに話は単純ではなくて、
大きな模型を見せられたからといって実際の空間を想像できるわけではなくて、
やっぱり一定のリテラシーを要求するものである。
そうゆう意味で模型だけがただ放り出されたように展示されているこの展覧会においては、
観る人たちによっていろいろな視点が獲得できる場を用意しているといえるのではないだろうか。

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