Friday

110513

今日は田中泯さんの第1回吉阪隆正賞受賞記念講演を聴きに行ってきた。
しかし建築家の名前を冠した賞を彼が受賞するというのはなんとも感慨深い。

ぼくが実際に彼の踊りを初めて観たのは今年に入ってからで、
それまでは映画を通してしか知らなかったのだけれど、
一目観てすごく惹きつけられるものがあった。
ひとつひとつの身体の動きがものすごく繊細で情報量が多すぎて、
とても自分の感覚では処理しきれなかったのだが、
それがそれまで自分が見たことのない、しかし魅力的なものであるということは理解して、
それ以降できるだけ足を運んでいる。
彼は、
「舞踏の一番大事な部分は映像や言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうんだ。」
と言っていたけれど、
文字通り生身の身体だけで自らを表現するということは、
その場限りでしか伝えることのできない、
決して言葉にすることのできないとても繊細な何かを含んでいるのだろう。
そして、彼が舞台という作られた形式よりも自然の中での場踊りを好むのは、
彼の身体が決してそれ自体で完結するものではなく、
場所との絶え間ない対話を通して
そのパフォーマンスがなされるからであって、
結局のところ彼の踊りは場所自体の空気感をチューニングしていく行為なのだ。

われわれの身体は普段の生活においていろんなものに鈍感になってきていて、
仮に環境に対して違和感があったとしても、
次第に慣らしていって順応していってしまう。
その結果として身体の環境に対するセンサーはどんどん鈍くなる。
身体感覚は絶えず手入れしていなければ簡単に鈍ってしまうほど脆く危ういものだ。
ちょうど中野plan bで松岡正剛さんが、
「武道家はむやみに外出せず、外出するときには同じ道を通る。
それは些細な変化を見逃さないためだ。」
と言っていたけれど、
泯さんが桃花村で生活するということは、
それと同じように身体のセンサーを常に敏感に保っておくための作業なんだろうと思う。

彼は同時期に岐阜県の円空賞を受賞していて、
それに合わせ来年には岐阜で場踊りを披露してくれるようなので、
ぼくの故郷でどのようなものを披露してくれるのか今からとても楽しみだ。

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