Wednesday

110601



「談春らくご inにほんばし」に行ってきました。
個人的には現役の噺家さんの中でも一番好きで、
しかも日本橋での特別公演ということで楽しみにしてました。

行ってみると高座の後ろにはなんと四神剣が!
日本橋にある老舗料理屋、「百川」についての噺の中に出てくる
お祭りのための神を祀る旗なのですが、
なんと今回は日本橋小舟町から借りてきて本物の前、
つまりは神様の目の前で噺をするというなんともぜいたくな会でした。

一席目の「百川」は初めて聴いたのだけれど、
田舎から出てきた正直者の奉公人とお客さんとの
コミュニケーションのずれが爆笑を誘う素敵な噺。
こういった噺は人間の素直さ、かわいさが描かれていて特に好きで、
百兵衛の馬鹿正直でどこか抜けているキャラクターと、
それに対して深読みしてしまうこちらもどこか抜けている客とのやり取りは
談春の人間描写力のおかげでどこまでも飽きさせることがない。
土地柄もあって特別な一席でした。

そして二席目は十八番の「紺屋高尾」。
逆にこちらはCDで何回も聴いているし、
実際に高座も目にしていて、さらには他の噺家さんのも聴いているので
よりディテールに集中して聴くことができました。
この人のすごいところは、同じ噺でもいつも同じではなく、
少しずつアップデートされていっているということ。
もちろんそこときどきの状況によっても変わってくるし、
落語というのは、まさにそのときにしか存在しない生モノなんだなあと
改めて再認識させられます。
師匠談志の掲げていた、「伝統を現代に」というのはやはりこの人にも
きちんと受け継がれていて、
彼はいわゆる本寸法な落語をきちんとやるタイプだけれど、
だからこそ注意していないとあっという間にただの古典芸能という
固定されたものになってしまう。
落語というのは基本的にストーリーは決まっているので、
噺家はストーリー展開に頼ることはできず、
その噺に対して自分独自の解釈を加えて、
セリフから表情、振る舞い、息遣いによってそれを表現しなくてなならない。
それはとりもなおさず人間そのものをいかに描くかということで、
そこに噺家の普段の生活での立ち振る舞いまでもが反映されるものなのである。
つまりは結局のところ、噺家そのものの人間としてのすべてを、
噺を通して表しているともいえる。

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