Saturday

110709








もう先週末のことになりますが、ふたたび東北へ行ってきました。
今回は蚊帳のデモンストレーションが目的だったので、
今までとは違って比較的いろんなところを回りました。
大船渡、陸前高田、南三陸など特に被害の大きかったところも、
初めて実際に自分の目でその状況を見ることができました。
自治体によって震災後の片付き方がかなり違って、
おそらくその差はますます広がっていくであろうことが懸念されます。

今回仮設住宅をいくつか見せてもらったのだけれど、
メーカーによって仕様がかなり違っていて、
これがくじ引きで決められるのだと思うと、
やはり複雑な心境だった。
また、実際に住んでいる人の話を聞くと、
被災者のすごくリアルな状況を知ることができて、
いろんなことを考えさせられる。
特に職の問題は切実で、
工務店が分裂してしまったりとか、
漁業に携わっていた人たちが今後どうするかなどは、
決して簡単には解決できないとても切実な問題だ。
幸運にもぼくの恩師は仮設住宅を実現までこぎつけることができそうだけれど、
「建築家」と呼ばれる人たちがなかなか本来自分たちの専門であるはずのものに
なかなか携わることができずにいるのは、
いろんな社会のシステムの不具合が生んだ状況であるという側面もあるけれど、
また建築に関わっている人間として
現実の社会との距離をあらためてきちんと見定めていかないといけない。

沿岸部のハエの大量発生への対策として蚊帳の需要がまだ少しはあるものの、
これまでお手伝いしてきた間仕切りの設置もだいぶ落ち着いてきた。
たまたま自分は状況が許されてこの活動に参加することができていて、
自分自身すごくいろんなことを教えてもらっているように思う。
「ボランティア」という言葉はやはり日本においては
何か複雑な響きを持って聞こえてしまって、
なにか高尚なことであると思われたり、あるいは偽善だとか批判されたりもする。
それぞれにはそれなりに説得力があって、
特に何がどうだとかは言いきれないところもある。
BOSS THE MCが、
「革命家に従うのでもなく 敬うのでもなく 
自分を革命家と思わない限り 戦いに自分への負い目が出てくる」
と言っていたけれど、やっぱり自分が何かやる以上は、
あくまでも自分のためにやっていると思うようにしないといけない。
そして実際に被災地に行ったとか、
何かをやったとかで変な優越感を覚えたり、
ちっぽけな自己実現のための道具にしないようにしないといけない。

今回すごく勇気づけられるのは、こうゆう苦しい状況の中で、
個人が生身の人間としてむきだしに存在しているがゆえに、
いろんな余分なものがそぎ落とされて人やモノと対峙することを迫られ、
そしてその中で普段ではあり得ないようなつながりだったり動きが
草の根的に生まれてきているということだ。
もちろん未だ状況は不透明で先は長いけれど、
ネガティブなものをいかにしてボジティブなものに変えていけるかという
努力はどれだけしてもしすぎることはないと思う。

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